音楽に含まれる情報量

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ブルースを聴いてみるかい?(1) | ガメ・オベールの日本語練習帳v_大庭亀夫の休日

 

同人音楽を、はてなブックマーク上のわずかな情報(タイトル、小さいサムネイル、選んだ人の文脈も入るかも)からてきとうに選択し、にこさうんどでmp3化してiPodで聴く。

同じ曲を何度も聴きこんでいると、ある情景が頭の中に浮かぶ。浮かぶ情景は徐々に変化していくが、ある範囲・方向性を持って収束していく。

この時点ではPVも動画に付帯された説明文も読んでない。サムネイルだって忘れている。タイトルと、音楽作品だけで浮かんだ情景だ。

 

この、自分の感想のようなイメージを持って動画を訪れると、自分が持った情景そのものが数段精緻になった動画作品になっていてぶったまげることがたびたびある。

今まで、この現象について深く考えたことはなかった。しかし、冒頭の文章を読んで、音楽と歌詞、それに付けられたワンフレーズのタイトルにはそれだけの情報量があるのだ、ということがようやく分かった。でなければ、得られる体験がここまで似たものになる理由が無い。今更だけど、分かった。

以上おわり。